ファゴットって知ってますか?

東京藝大卒の茨城県産ファゴット奏者、皆神陽太です。

2020年春雑感

 

たいっへんなことになっています。

 

あまりにも時間があり余りすぎて筆をとりました。

語弊を恐れずに言えばこの騒動の詳細はどんなに液晶画面を見ても正直なところよくわかっていないままです。よくわかっていないというか、実感がない。

幸運なことに身の回りには罹患した人はいないし 私も元気です。

ただただ、自分が保菌者"かもしれない"という意識をもって過ごす必要性だけをひしひしと感じています。

 

元来熱を測ることが嫌いで、体温計を買ったことがありません。なぜなら、体温が表示されるだけで体調がよくなるわけではないから。体温計をはさむ時間があれば酒を飲んだほうが身体にいい。数字がのしかかって余計頭が重くなるのにどうして測る必要があるのか不思議でしょうがない。

いたって健康で、エネルギ-も有り余ってしまっている今。それは僕の中での孤独な問題でしかないということを突き付けられる全然嬉しくない休暇まみれのニート生活を送っています。

 

僕が音楽家を志して演奏で食っていくと改めて腹をくくった年、2011年は東日本大震災のときでした。

藝大の最終3次試験を終えて茨城の実家で合格発表を待っているときにそれは起きました。生きながらえても、生活がままならない人がとんでもない数にのぼったあの時、記憶に新しい不可避な自粛ムードの中で入学式は執り行われませんでした。混乱の最中ヒビが入っただけで倒壊は免れた実家と、ズタズタになったふるさとを置いてひとりで上京した日のことは死ぬ瞬間まで忘れません。

 

好きなことで生きていく でしたっけ?youtubeの宣伝で使われている文句 まさしく当時の僕の夢はそれで、後先はなにも考えてなかった。

プロとはどういうものなのか・生計をたてるとはどういうことなのかも不明瞭なまま突き進み、合格した大学で4年間過ごし、その生活の中で音楽とはまったく関係のないアルバイトもしながら演奏…ひいては音楽で食べていく人生設計を学ぶ時期であったと思います。

音大卒の就職シーンは世間に知られている通りかなり冷たいものです。卒業後も1年は家族に迷惑をかけながら、自分の出した音の対価としてスーパーで買い物をしている嬉しさとありがたみ、そしてシビアな側面をこれでもかと味わいました。

 

衣食住つまりは生命にまったく関係のないことでお金をいただくということ。聴きたいとチケットを買ってくださる方がいること。お客様ひとりひとりが対価をはらってくださり、各々の仕事や学業や家事の都合をつけ、こちらの時間に合わせて電車なり徒歩なり舟なり飛行機なりどこでもドアなり車なりでお越しくださる。またそのチケットを管理してくださる方がいること。リハーサルに行けば椅子と譜面台が並んでいて、電気がついていて、何百年も前に書かれた尊い作品を再現し追い求める時間を仕事としてもてること。

そのすべてが過去になってしまった事実と、もう同じようには戻ってこないのかもしれないという恐怖と、どれだけ浮世離れしたことでおまんま食っていたんだろうという情けなさ?(とも違うんだけれど 適した言葉がみつからない)でいっぱいになっています。

 

なんだかんだで就職して4年。新たな現実に直面しています。

 

大震災のときは高校3年生と大学1年生のはざまで、お米一粒さえ自分では手に入らなかった。今は、ビール代だけ節約できないけど生きています。生きていた?

 

今の目標はひとつ、次にお客様の前で演奏できるとき絶対に泣かずに袖まで戻ること。仕事中に泣くやつが心の底から嫌い。